3本のクギ
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3本のクギ

2018年10月02日(火)4:09 PM

【3本のクギ】

「3本の矢」。。。これは毛利元就が3人の息子に言ったとされる言葉である。
矢は1本や2本だと簡単に折れてしまうが、3本結束すると決して折れはしない。
どんな困難でも一致団結すれば乗り切ることができると言う言葉だ。

僕は問題を解決したい時や気持ちが折れそうになる時には
自分を励ます言葉をいくつか用意している。
この言葉はその一つだ。

この言葉を知るキッカケとなったのは歴史の教科書やNHKの歴史番組でもなく、
小学生の頃に見た志村けんのコント番組だった。

ちなみに僕は志村けんが大好きだ。
「ドリフターズ」「カトちゃん、ケンちゃん」「バカ殿」「だいじょうぶだぁ」「ぽっぽや」
「となりのシムラ」などなど。。。
志村けんはテレビ・映画・CM・舞台・音楽、ほとんどの芸能世界で活躍をされている。
いずれ志村愛をブログで書けたら幸せだ。

さてさて、ここからが本題である。

それは2017年6月半ばの出来事だった。
九州地方の梅雨入りが発表されて間もないある日、
突然、それは起こったのである。

その日も滞りなく夜7時で営業が終了し、僕は店の掃除をしていた。
ネットリとした梅雨独特の空気が気分を不快にさせる中、僕はボロボロの雑巾で丁寧に受付台を拭いていた。
拭き掃除もやっと終わり、一服する為に妻と息子がいる休憩室に向かおうと体を反転させた瞬間、
強烈な痛みが突然足から全身へ駆け巡ったのだった。

「ヴェァァァ~~~~!!!」

それはまるでゾンビにでも襲われたような叫び声だった。
痛みが全身を震わせ発した声だった。

「ヤッベェ~、マジ痛ってぇ~。。。」

脂ギッシュな僕の頭の中を突然の激痛がぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。
原因不明の激痛により、ぱっくり開いた頭皮からは冷や汗がドロドロと出ていた。

声を発して程なくして、妻と息子が手にせんべいを持ったままダラダラとやって来た。
四つん這いになっている冷や汗だらけの僕を、パリポリとせんべいを食べながら見ている二人。
僕は命乞いをするかのように体の異常を見つけてほしいとお願いしたのだった。

「べつに~。」

某有名女優さんの言葉よりかは若干温かかったが、面倒くさそうに妻はそう答えた。
せんべいのカスをこぼさないように一生懸命気を使っている妻を見て、それ以下の僕は哀れでならなかった。

「父ちゃん、大丈夫?」

一方、息子は心配してくれていた。
日頃の信頼関係がモノを言うのであろう。
だが喜ぶのも束の間、彼の視線は僕の体にはなく、
脂ぎって悲惨な状態となっている頭頂部に注がれていたのだった。

「二人ともありがとう。」

御礼を言うかどうか迷ったが、妻と息子の平和な気楽さが一時的にも痛みを忘れさせてくれたのは事実であった為、お引き取りの意味合いでそう言ったのだった。
2人は額面通りに言葉を受け取り、満足気に休憩室へ戻って行った。
去り際にせんべいの更なる所望を交渉する息子の声が四つん這いの背中に響き、虚しくて仕方がなかった。

そんな状況でも原因不明の激痛は続いていく。
四つん這いのまま体の見える範囲を目視ししたものの相変わらず何が起こったのかは判らない。
痛みはやがて得体の知れない恐怖に変わっていったのだった。

「このままじゃラチが明かない!」

僕はひとまずゆっくりと立ち上がってみる事にした。
両手を頭上にある掃除し終えた受付台にかけ、左足で床を踏み締め、上体を起こした時、
右足に異様な光景を目にしたのであった。

「なんじゃこりゃ?なんでマットが?」

持ち上げた右足の裏に30㎝四方の玄関マットがくっ付いていたのだった。
まるで接着剤をつけたかのように足裏に貼られているようだった。
この異様な光景は、これから起こる悪い状況を察するには充分なものであった。

片足立ちのまま恐る恐る右足の裏を覗いてみる。
右足の裏には玄関マットがくっ付いていて、
更に玄関マットの裏側中央には5センチ四方の木片がくっ付いていた。
ちょうど玄関マットが右足の裏とこの木片とでサンドイッチにされている状態であった。
子供のころにテレビでスプーンやフォークを体にくっ付ける磁石人間を見たことがあるが、
それと同じような摩訶不思議な光景であった。

この木片には見覚えがあった。
以前日曜大工で製作した受付窓の一部であった。
でも、なぜこんな場所に木片があるのか判らない。
しかし、すぐに恐ろしいことに気が付くのである。

受付窓は開閉を繰り返す為、強度を持たせなくてはならない。
だからこの木片には5センチ程の長クギを3本打ち込み、外れないようにしていたはずだった。
という事は、この木片が玄関マットを抑え、右足の裏にくっ付いているという事は。。。。
判っている、答えは判っているのだ。
否定したいがあまり、心がそれを認めようとしないのだ。

片足立ちの姿勢から、一旦アグラをかく姿勢に変え、再度右足の裏を見てみる。
5センチ四方の木片には、キラッと銀色に光る直径5ミリ程のクギの頭が3つ見えた。
あぁ、やっぱり刺さっている。どうしよう。
実際に目で見たものが脳へ伝達され始めると、今までそれを否定していたはずの心は
いとも簡単にその役を降ろしてしまう。

「ヴェァァァ~~~~!!!」

僕は再び叫んでいた。しかし痛みからではない。今度は恐怖が全身を震わせたのだ。

奥の休憩室から妻と息子が血相を変えて走ってきた。
妻の胸元はびっしょり濡れている。片手に湯呑を持っている妻の姿を見れば、
お茶をこぼして濡れたのは明らかであった。
1回目とは違い、緊迫した雰囲気が3人を包んでいた。

ほとんどパニック状態の僕ではあったが、努めて冷静に右足の裏に刺さった3本の長クギについて
早口で説明をした。
話を聞いていく間、妻の顔から血の気が引いていくのが判った。
間違いなく、今度は100%心配してくれている。
僕は喜びから少し冷静になれた。
しかし、程なくして、真っ白な顔をした妻が語り始めたのだった。

「この木片、私が受付の床に置いていたの」

話を聞いていくと、受付窓から外れたこの木片を床に置き、
回収するのを忘れてしまっていたとのことであった。
妻が真っ白な顔になった理由はここにあったのだ。
製造現場は5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)が原則である。
普段であれば、こんな管理をしていた妻を叱っていただろう。
しかし今はそうではない。
僕は右足の裏に木片が刺さった理由をある意味教えてくれた妻へ感謝していたのだった。

「あのさぁ~、今度から気を付けてくれよ~。へへへっ。」

自分でも信じられない許しの言葉であったが、一番驚いていたのは妻であった。
せんべいを持ってダラダラやって来たこと。
「べつにぃ~」という気のない返事をしてしまったこと。
5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を怠り、木片を床に放置したこと。
その結果、クギが刺さり困っている中年男が発生してしまったこと。
その全ての責任を感じ、耐えられなくなった妻はなんと泣いてしまったのだ。
しかし、アグラをかいている中年男の足裏に3本の長クギが撃ち込まれている姿は
泣いている妻を確実に笑いへ変えていく破壊力を持っていた。

何となく互いにスッキリとした愚かな夫婦はこの木片(長クギ)の抜き方について話し合った。
木片(長クギ)は玄関マットを挟んで右足の裏に刺さっているため、
実際どのくらいの長さが足に刺さっているのか判らない。
判らない事がこんなにも恐怖を生むという事を37年生きてきて僕は初めて経験したのだ。

「救急車を呼ぼうか?」

何を悟ったのか、菩薩のような遠い目で妻が僕に囁いた。

「むやみに呼ぶなって何かのCMでやっていただろう?」
「すごく痛いよ、でも笑えない状態でもないから呼んじゃだめだよ!」

いざ、呼ばれる当事者になってみると、救急車を呼ぶかどうかの明確な基準が判らない。
取りあえず救急車を呼ばないように、満面の苦笑いを妻に見せる僕。
救急車をむやみに呼んじゃいけないCMを見たことが、僕と妻の判断を大いに惑わせていた。
今思えば、救急車を呼んでもいい場合のCMも流して欲しかった思っている。
夫婦で充分考え、結局救急車は呼ばず自分たちで木片(長クギ)を抜くことにした。

終焉を目指し、いよいよ右足の裏の3本の長クギを抜くときがやってきた。
相変わらず激痛なのだが、今は清々しい気持ちで一杯だった。
玄関マット、3本の長クギ、短い間だったが僕らが1つになっていたのは紛れもない事実。
僕らはある種の連帯感に包まれていた。
でも、だからと言ってこの長クギを抜きたくない訳ではない。
むしろ抜きたくて仕方がないのだが、激痛からこの長クギを抜く勇気が僕にはなかった。
無論、未だ泣きと笑いを繰り返している妻にも決して抜かせられない。
だから、傍らでしつこく足裏を観察している好奇心旺盛な息子にお願いする他に道はなかった。

普段から「男道」の教育を受けている息子。
僕のような軟弱な男とは違い、息子は勇気を持って長クギを抜いてくれると信じているのだ。
だが、キラキラした息子の眼からは「やられたらやり返せ」という雰囲気が発せられていた。
子供にしか判らない親からの理不尽さが、多少なりともこれまであったのであろう。
それらに対する復讐を、今息子は果たそうとしているのである。
親父を助けるという大義名分に則って。。。

息子の想いに気付いても、他に頼む人がいない以上、もう後には引けない。
覚悟を決めて僕は言った。

「さぁ、やれ!息子よ!」
「わかった、父ちゃん!」

3本のクギ。
受付窓に強度を持たせるため、その結束はかなりのモノであろう。

3人の親子。
これまで、どんな困難も親子3人の結束で乗り切ってきたはずである。

志村けんや毛利元就は一体どちらを応援するのだろうか。
「3」の結束は簡単には崩れない。
3本のクギも、3人の親子も。。。

今、僕と息子、そして妻の呼吸は完璧にシンクロしている。
絶対的な何かがその時を3人に伝え、息子が無心で一気に木片を引っ張った。

時刻は夜8時を過ぎていた。
ポツリポツリと降り注ぐ梅雨の夜空に中年男のうなり声と少年の澄んだ声、
そして中年女の甲高い声が響き渡った。
薄暗い雨雲の隙間から顔を出す紫色の美しい夜空が、3人の声に優しく耳を傾けるのであった。



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